文章のみの4クルー目の13対岸下流のドラム缶のスペース)対岸下流のドラム缶のスペースはいきなり紫外線の場所だった。 昭和50年代まではドラム缶のスペースの近所にボート乗りの場所があり、仙台市民は紫外線をあびながら日陰がなくてもボートに乗りデートなどをしていた。 NPOが数年前からボート貸し出しのイベント的なことをやっているが、かつてのにぎわいはなく、昔をなつかしむ高齢者夫婦がたまに利用している。 このNPOがボートの受付に、キャピングカーを使っているので、林太郎さんたちはうらやましかった。 おそらく、「場所」として使うには、65%以上の横面を覆う壁と、屋根が必要だ。 それでも、ドラム缶のスペースにひとは来ないわけではなかった。 そのうち、口の堅そうなひとだけを洞窟に招いた。 けっこう、行き詰っている中高年は多かった、若者の就職支援は盛んなのに、実際どうなっているんだと感じた。給料に感謝なんかも消えている家も多くあった。 収入を得て一家を支えていても、銀行振り込みの給料。給料日にキャッシュカードですでにおろされた現金から、夜におこづかいをわたされたりする。存在感がつたわらない。 もしかすると、キャッシュカードでおろしている奥さんも、テレビゲームで子どもがリアルを捨てていくように、なんか働いているリアルをわかってないのかもしれない。 ハローワーク) タカハシさんと林太郎さんがハローワークに行った、帰り、そばのコクトーというカフェでお茶をしながら話す。 タカハシさん「自分が生まれてきた意味が仕事にあるかどうかもある。掃除するとか、道路工事現場で誘導灯を振るのを仕事にして、そのために生まれたって思う人はどれだけいるかって。金をかせいで、家族を養う、それってことだって立派な生きる意味だ」 林太郎さん「ハローワークとかの適性検査は、得意なところと好きなところをランダムで出してきてチェックさせているんだよ。ホントいうと、それに加えて、社会のニーズがどこにあるのか、あるいはないのかを照らし合わせないとにっちもさっちもいかないのが現実だから」 洞窟に戻りその話をコハルにする。 コハル「ここに来る人のパターンってあるよね」 林太郎「どんな?」 コハル「必要とされていない」 林太郎「?」 コハル「少なくとも、そう感じている」 林太郎「ひとは愛されていない、必要とされていないと感じるときに疲れるんだよ」 コハル「いちばん癒されるのは、自分のこころを包んで、受け入れてもらったときかもね」 林太郎「この時代はかなりいかれてる。つまりさ、ひとがひととして大事にされてない」。コハル「そういう大事にされないケースにでくわすひとが来ているのかな」 林太郎「タカハシさんが言うけど、アメリカのように傷つけあう闘争し勝ち残っていく社会に日本がなりつつあるよね。それでも、そうした勝負になじめないひとや、あるいは、その勝負にやぶれたひとは行き場や居場所がない」 コハル「アメリカのようにカウンセラーも気軽にいけないしね」 林太郎「教会だって気軽にいけないさー。日本は寺文化だから、ぼだい寺に行っておしょうと話すというスタイルがあったけど、いまはないもんね。ほとんど葬式のための宗教でしかない。」 コハル「親子関係も薄いよね。塾に行っていて交流がなかったりするし。絶対的に、家族ですごす時間が少ないよ」。 林太郎「リョウさん説では、友達もあたりさわりはないけれど本音で言わないって。言うと傷つきやすいからいまひとつ遠慮がち同志の会話らしよ」 コハル「そうしたアメリカ型社会では攻撃的なタイプが強いんだって」 林太郎「だって?」 コハル「タカハシさん」 林太郎「かなり自分を出すパフォーマンス型の人間、自分が絶対正しいと考えている攻撃型が生き残んだ。」 コハル「理不尽な世の中は、往々にしてそういうタイプのひとが主導して社会を創ってく。 平和型とか、争いがいやなひとにとっては、生活しづらいのかな。みんなが、リングにあがらないといけない。リングにあがって勝った人が安定やお金を得る。」 林太郎「やさしい思いでボランティアやNPOをやっているひとたちが、手弁当で汗を流して、そのまわりにいるのは生活の保証された役人様が出張費までもらって、そのイベントに関わったイベント会社やコンサルの用意した弁当を食べているような感じはあるよね」。 失業者がいる。45歳すぎるともう再就職困難者だ。女性は30歳越えるとなかなか正社員の口がない。一方で、弟が議員やってますなんていう50代のおやじが、なぜか国の出先機関に入社とかはある。ぜんぜんフェアじゃない。 普通に暮らしていると、自分なんか必要ないんじゃないかと思う場は多いのかもしれない。失業して、なんどめかの面接に落ちたひとが休む場所があるんだろうか? リストカット) コハル「リストカット・アームカットってご存知ですか?」 林太郎「自分が愛せない、とかなの?」 コハル「ええ、そうですよね。たぶん、愛してほしいですとかだけでなくて」 林太郎「だけでなくって?」 コハル「きちんと関わってもらって自分のありのままを愛して欲しいというのが思いだと思うんですけれど、思いがねじれてくんですよね」 林太郎「…」自分は他人とはたして、きちんと関わっているんだろうか?いや、他人よりも前に家族と…林太郎さんは、自分を省みた。 コハル「彼女たちは、なにかきっかけあると思うんですよ。攻撃されたということがですけど」 林太郎「たとえば?」 コハル「たとえばー、レイプや暴力、あるいは恋人から中絶を強いられたりというものとか」 林太郎「…」レイプという言葉がコハルから出たので、返す言葉に困った。 コハル「もうひとつは、当然あるべき愛がないという攻撃もありますよ」 林太郎「当然あるべき、、か」 コハル「親が本来は愛してくれるはずなのに、愛してくれない」 林太郎さんはストライクを受けた。(自分の子どもは、どう考えているのだろう?)。 コハルはそれに気付かずに言葉を続けた。 コハル「恋人が、夫が、親友が、友達が、…地域がでもいいんですけど」 林太郎さんは言葉を捜して、話題を締めた。 林太郎「ここで、いろんな人の話しを聞くと胸がつまるくらいに冷たい感じはあるよね」 |